
[ 三越前(2026 02 14) ]
日本橋周辺ではいたるところで再開発が行われています。
建物の建替えのほか日本橋の上空にある首都高の撤去・地下化も2040年度の完成を目標に進められています。
1963年12月21日に開通した首都高は老朽化が進み、長期的な安全性の確保と景観や環境の改善の抜本的な対策として地下化が選択されました。
三越百貨店の反対側にある街区でもビルの取壊し工事が始まっていました。
26棟のビルが取り壊され2つの街区を一つにして、2031(R13)年度には地上33階・地下4階・高さ約179.5m・延べ床面積約114,500㎡の超高層ビルが建つ予定です。
この街区には個人のお宅もあるので最上層には住宅も計画されています。
最寄りの食料品店が三越のデパ地下という生活です。

[ クスノキ(2026 02 14) ]
日本橋から室町三丁目南交差点までの200mほどは中山道と重なっています。
交差点を旧・日光街道へ曲がる角にクスノキが立っています。
長崎街道の北九州・旧黒崎宿の街道脇に2本あった、樹齢100年以上と推定されたクスノキです。
このうち1本が交差点に、もう1本は福徳神社側に、この街区に立つ野村ビルの守神として移植されたました。
なぜ、わざわざ九州からクスノキを運んできたのかは、現地のプレートにもホームページにも書かれていませんでした。

[ 横山町問屋街(2026 02 14) ]
昭和通りをアンダーパスの歩道でくぐり抜け進むと、次第に両側のビルにマンションが増え、ビルも少しずつ小ぶりになっていきます。
ランドセルを背負っている小学生が歩いていたり、犬の散歩をしている人もいます。
さらに進むと、衣料や繊維を扱う問屋が集まっている横山町問屋街です。
土曜日の午前8時前でしたが、店員さんが店先に商品を並べ始めていました。
神田川を浅草橋で渡ると日本人形店や玩具店の看板が目に入ります。
「吉徳」や「久月」、「バンダイ」など誰もが知っている名前です。
このようなお店より多いのがホテル。
チェーンホテルのほかにも名前を聞いたことがない間口が数間の小さなホテルがいっぱいです。
外国人観光客が目当のようで、浅草寺付近まで続きます。

[ 浅草寺雷門(2026 02 14) ]
駒形橋西詰交差点で国道6号から別れ、並木通りを浅草寺雷門へ向けて進みます。
朝早い時間にも関わらず、多くの外国人観光客が雷門にぶら下がる大提灯を撮影しています。
感心なことにちゃんと列を作って順番に撮影しているのです。
こんな外国人観光客なら歓迎です。
某国の日本への渡航自粛の効果があるのでしょうか。

[ 浅草モスク(2026 02 14) ]
東武浅草駅を過ぎると外国人観光客は激減し、沿道のマンションの割合が増えるのか静かになります。
そんな建物の中にイスラム建築の絵に加え「DAAR AL ARQAM MASJID」と描かれているビルがあります。
浅草モスクと言われるイスラム教の施設で、ビルの中にはイスラム教徒のための礼拝所があるそうです。
モスクというと玉ねぎのようなドームがある建物と思いがちですが、ごく普通のビルです。
ビルになってる日本のお寺もあるように、地価の高いところでは宗教施設といえども伝統的な建物の形を保てないようです。

[ 道路工事(2026 02 14) ]
日本橋から常磐線の南側までは、関東大震災後に復興土地区画整理事業が行われているので、旧・日光街道は昔の姿を留めていません。
南千住駅の近くで常磐線を越えると、道路の中央分離帯がなくなり何となく狭くなった感じがします。
南千住駅前ビルの先では常磐線の東西を結ぶ都市計画道路の工事が行われていました。
しばらくすると旧・日光街道は国道4号と合流し、隅田川を越える千住大橋が見えてきます。
下り線は震災復興事業で1927(S2)年に架けられたアーチ橋、上り線は1973(S48)年の桁橋。
上り線は歩道がないので、歩行者は下り線のアーチ橋を渡ります。
橋には「大橋」としか書かれていない銘板が掲げられています。
当時は「大橋」と言えばこの橋だったのでしょう。

[ 足立市場前の松尾芭蕉(2026 02 14) ]
千住大橋を渡ると右手に足立市場があり、旧・日光街道は市場の前で国道4号から別れます。
昔の築地市場に比べれば小さな市場ですが、5、6軒の市場食堂があり一般の飲食店が開く前からご飯を頂くことができます。
市場の前には俳人松尾芭蕉の石像が立っています。
芭蕉は深川から船に乗り千住に降り立ったので、「奥の細道」の実質的な旅はここから始まります。
出立は1689(元禄2)年3月27日(旧暦)、現在の5月16日だそうです。
「行く春や 鳥なき魚の 目は涙」が千住での一句。教科書に載ってました。

[ 千住宿本陣跡(2026 02 14) ]
千住宿の近くにある北千住駅は、JR、地下鉄、東武、つくばEXが乗り入れる鉄道の便がいい駅です。
駅に近い旧・日光街道沿いは飲食店や物販店が連なり、駅へ向かう人、買い物をする人、食べ歩きの人など多くの人が行き交っています。
旧・日光街道の道幅は7.2m前後なので昔の4間なのでしょうか。
ブロックに白線を引いて歩道と車道を分けていますが、あまり効果はないようです。
旧・日光街道につながる路地は、すれ違いがやっとの幅しかない道がいっぱいあります。
宿場町の地割がそのまま残っていますが、最近はマンションに建替える敷地も目立ち、昭和のごちゃごちゃした雰囲気が少しずつ変化しているようです。

[ 千住宿に残る路地(2026 02 14) ]

[ 荒川の堤防と海抜0mの標柱(2026 02 14) ]
千住宿を抜けると荒川を渡ります。
この荒川は1911(M44)年から1924(T13)年にかけて掘られた放水路なので、このあたりは江戸時代は陸地でつながっていました。
荒川の脇には地面の高さ海抜0mを知らせる標示があり、荒川の堤防がダムのように見えます。
荒川を渡り終えると旧・日光街道は北に向けて進みます。
往時は千住宿を出ると左右には田畑が広がっていたと思いますが、現在は建物が連なり「土」を見ることすらできない道です。
ほぼ直線の道でビルや戸建てが混じっていますが、北上するにつれて戸建ての割合が増えていきます。

[ 都県境(2026 02 14) ]
竹ノ塚を過ぎ、埼玉県に入る直前で旧・日光街道は旧・国道4号(現在は都道・県道足立越谷線)に合流します。
都内は4車線ですが悲しいことに埼玉県に入ると2車線になってしまいます。
住宅、マンションと店舗が入り混じりった雑然とした足立越谷線を北上します。
草加宿の入り口で旧・日光街道は足立越谷線から別れ、両側が歩行者用に緑色に塗られた一方通行の道を進みます。
一方通行のためか車の通行が少ない感じです。
草加駅の近くはマンションが増えてきます。
都県境を越えるとマンション価格が大きく下がるので、それなりの需要が高いようです。

[ 草加宿本陣跡(2026 02 14) ]
草加宿にあった二つの本陣はどちらも跡地に石碑があるだけで、今はマンションや会社の建物が立っています。
北に行くにつれ建物の高さが低くなり、名物草加せんべいを扱うお店の看板が出てきます。
草加宿の北端には「草加せんべい発祥の地」と掘られた石碑が鎮座しています。
草加せんべいは「茶店のおせんさんが、売れ残った団子をつぶし乾燥させて焼いたものが評判になり、この地の名物草加せんべいとなった」とうい説がありますが、俗説だそうです。
真実ならば、売れ残り食品の廃棄物を減らす再利用の先駆けでした。

[ 草加松原(2026 02 14) ]
草加宿を出ると綾瀬川沿いに約1.5kmに及ぶ松並木が保存されています。
昭和初期まで800本近い松が残されていましたが、自動車交通が増え排気ガスの影響により60本までに減少しました。
その後の保存・補植や、並木の間を通っていた道路の移設によって現在は約600本にまで回復しています。
補植された松が多いので幹の太い松は見かけません。
それでも、矢立橋や百代橋の上から眺めると、松の緑が視野が大きく占める立派な松並木です。
矢立橋と百代橋は外観は木造風に造られた歩道橋ですが、江戸時代にこのような橋があったのではありません。
建設時は反対者もいたようですが、今は松並木に馴染んでいます。
最寄りの「獨協大学前駅」が「松原団地駅」から改称される際に、「獨協大学前(草加松原)」と副駅名の付いた名称になりました。
国指定の名勝である松並木を観光地としてPRするためだそうです。

[ 蒲生の一里塚(2026 02 22) ]
松並木を過ぎ草加市と越谷市の境に架かる蒲生大橋を渡ると、右手に木が生い茂った一角があり、そこに蒲生の一里塚があります。
案内板には塚の「高さ2メートル」とありますが、橋への取付けで道路が高くなっているため路面より低くなっています。
案内がなければとても一里塚には見えませんが、エノキの高木があり遠くからでも存在を確認できます。
この一里塚は埼玉県内の日光街道に現存する唯一の一里塚です。
日光街道とほぼ並行している日光御成街道は、両側の塚が残っている一里塚がありますが、日光街道の一里塚は耕地整理や道路拡幅などで姿を消したものが多いようです。

[ 田植えを御覧になった(2026 02 22) ]
蒲生の一里塚から少し行くと、旧・日光街道は旧・国道4号と合流し単調な沿道風景になります。
武蔵野線のガードが見えて来るあたりに、地元の町内会が緑を育てているミニ公園のようなスペースがあります。
その後方に忠魂碑などとともに「明治天皇田植御覧之處」と彫られた石碑があります。
裏面には1876(M9)年の明治天皇の東北御巡幸の際に、ここで田植え風景を御覧になったと書かれています。
現在は一面が市街地になり、見えるのは建物とアスファルトの路面だけで、水田は見えません。
昭和40年台までは田んぼが残っていましたが、1973(S48)年に武蔵野線の南越谷駅が、翌年に東武線の新越谷駅が開業すると、乗換駅の利便性もあり一気に宅地化が進みました。

[ 明治の建物(2026 02 22) ]
越ヶ谷宿付近の旧・日光街道も草加宿と同じように、旧・国道4号(県道足立越谷線)から分かれます。
狭い道幅にもかかわらず対面通行のため、歩行者がいると横を通る車は減速せざるを得ないほどです。
歩いていると数軒の日本人形のお店に目がとまり、車では気づくことがない越谷の姿を見られます。
越ヶ谷宿は元荒川を挟み南北に宿場が広がっていました。
川が近くなると土蔵を持つ旧家が見えてきます。
これらの建物は、1899(M32)年に発生した越ヶ谷町の大火直後に建てられ今日まで残されています。
鍛冶忠商店は今も荒物を商っている現役の建物です。

[ 大沢宿の碑(2026 02 22) ]
元荒川を渡ると「明治天皇大澤御小休所」の石碑の隣に、地元自治会が建てた「大沢宿場跡公園」と書かれた碑があります。
越ヶ谷宿は元荒川を挟み南側にある越ヶ谷町と北側にある大沢町が、交代で宿場業務を務めていました。
1842(天保14)年の調べでは57軒の旅籠のうち48軒が大沢町にありました。
それでも宿場は「越ヶ谷宿」と呼ばれていました。
1899(M32)年に東武鉄道が開通し、越ヶ谷宿の最寄り駅として開設された越ヶ谷駅は、越谷市大沢にある現在の北越谷駅でした。
当時は大沢町側が宿場の中心と考えられていたようです。
その後、現在の越谷駅が開設されると越ヶ谷駅は名を譲って武州大沢駅に。
1954(S31)年に越ヶ谷町と大沢町などが合併する際に、新町名は大沢町に配慮したためか「ヶ」を取り除いた「越谷町」にして、新たな自治体として誕生します。
この後に武州大沢駅は北越谷駅に改称されました。
町名や駅名などに複雑な変遷がありますが、越谷市大沢地区に住んでいる人々から見れば、越谷市の中心は大沢地区なのでしょう。
そのた自負心から「越ヶ谷宿」ではなく「大沢宿場跡公園」の碑を建てたのかもしれません。

[ 備後一里塚跡(2026 02 22) ]
越ヶ谷宿から粕壁宿の間のうち、せんげん台駅付近までは旧・日光街道がそのまま舗装されたような道です。
沿道は両側に住宅が立ち並び、農家だったと思われる敷地の広い住宅がもあります。
その先、国道4号となっている区間は、拡げられ直線と緩やかな曲線の人工的な道になっています。
道は拡がったのですがファミリーレストランなどの飲食店や物販店の看板が目立つ、日本のどこでも見られる道路沿いの風景です。
途中に「史跡 備後一里塚跡」とある小さな石碑が歩道にありますが、このほかに日光街道だったことを示す案内はありません。

[ 匠大塚(2026 02 22) ]
国道4号から分かれると粕壁宿に入ります。
幅15mに拡げられた直線の道路になり、マンションや小規模な店舗が続きます。
その街並みの中で目立つのは「匠大塚」の春日部店です。
この建物は1985(S60)年にロビンソン百貨店として誕生し、2013(H25)年に西武春日部店となりました。
しかし郊外に開発されたイオンモール春日部などの影響により2016(H28)年に閉店し、そのあとは「匠大塚」の春日部店として現在に至っています。
百貨店だったころは人通りがありそれなりの活気もありましたが、高級家具店では客層が限定され訪れる人は少ないので道は閑散としています。

[ 在りし日のイトーヨーカドー春日部店(2018 05 06) ]
マンガの「クレヨンしんちゃん」に「サトーココノカドー」として登場していた春日部駅前のイトーヨーカドー春日部店も2024(R6)年に閉店しました。
春日部市中心部の大型店舗は、郊外に進出してきたイオンモールに完敗です。
寂しくなった粕壁宿ですが、所々に宿場を案内する標柱が立っています。
道路が拡げられたためか昔の建物はほとんど残っていませんが、春日部市郷土資料館には粕壁宿の町並みの模型(縮尺200分の1)があり、砂埃が舞うような昔の道を感じることができます。

[ 春日部市郷土資料館(2011 08 17) ]
旧・日光街道は粕壁宿の西端で右折し、北側を並行して流れる大落古利根川を新町橋で渡ります。
新町橋から「匠大塚」となった大きな建物がよく見えます。
大落古利根川の水量が多い時期は、小型の船で米などの生活物資を粕壁宿に運んでいました。
新町橋の近くには昔の河岸の石積みが残っています。
旧・日光街道は新町橋をわたると左に曲がり、少し進むと小淵の一里塚跡の石碑があります。
このへんは宿場からも外れ静かな道です。
さらに進むと国道4号に合流し国道16号を横断します。

[ 大落古利根川(2026 02 22) ]
<参考資料>